Just Another Summer Day in バンコク、翡翠おたくのタイ放浪記


いつの間にかタイに居ついてしまった人間のバンコク放浪記
by ポヨさん
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2011年 11月 27日 ( 1 )


実妹 モナ・シンプソンよりスティーブ・ジョブズに贈る追悼の言葉。

ニューヨークタイムズの10月30日版の中に興味深い記事があったので
翻訳してみました。

アップルコンピューターの創設者のスティーブ ジョブズ氏の実妹の
モナ シンプソンさんから兄に贈る葬儀会場における追悼スピーチです。


モナ シンプソンさんはUCLAの教授でスティーブ ジョブズ氏の実妹ですが
スティーブ ジョブズ氏が貧困のためにアダプト(養子)に
出されたため、大人になるまでお互いの存在を知らなかったといういきさつが
あります。
原文は5ページに及ぶ長文のため所々要約、省略したところがあります。


モナ シンプソンさんの追悼スピーチ(the new york timesより)

私はシングルマザーの貧しい家庭に育ちました。
父は電話番号も住所も残さず去って行ってしまったので私は小さいときから
父がいつかお金持ちになって私の人生の中に戻ってくれることを願っていました。

しかし、戻ってきたのは父ではなく兄だったのです。

私がニューヨークに居て初めての小説を書こうとしていた頃のことです。
私は小さな雑誌社につとめていました。クローゼットほどの小さいオフィスで
3人の同僚がいました。
ある日、弁護士から電話があり、「あなたには兄がいて、その人はとてもお金持ちで
有名な人です。その人があなたに会いたがっている。」と告げました。
その人の名前を尋ねるとその弁護士は今は答えられないと言いました。
1985年の事でした。あたかもディケンズの小説の策略のなかにはまってしまった
ような感じでした。

同僚達と賭けが始まりました。同僚達の一番の候補はジョントラボルタでした。
私は密かにヘンリー ジェームスの小説の理解者で、私より才能があり、
努力もしないでなんでも出来る人だったらいいなあと思っていました。

私が始めてスティーブに会ったときは同年代でジーンズをはいて
アラブかジューイッシュの容貌で、オマーシャリフよりハンサムでした。

そのとき何を話したか多くは思い出せないのですが、長い散歩をしながら
話をして、偶然二人とも散歩が大好きということがわかったのです。
最初の日の印象はスティーブは私が友達に選ぶタイプの人だということ
でした。
私はその当時コンピューターに疎くてOLIVETTIのタイプライターを使っていました。
スティーブにCROMEMCOというコンピューターを買おうと思うんだけど、と言うと
彼は「ちょっと待ったほうがいい。今、信じられないくらいにかっこいいPCを
作っているところなんだ。」と言いました。

彼はいつでも一生懸命でした。たとえ失敗したとしても一生懸命すぎることを
恥ずかしいと思わない人でした。

アップルを追放されたときは痛々しかったです。かれは大統領を囲んで500人の
シリコンバレーのリーダー達が集まるディナーにも招待されませんでした。
彼は傷つきましたが仕事を淡々とこなしていました。

改革者のわりには物事にロイヤルティーがある人でした。
ひとつのシャツが気に入ると10から100はオーダーしました。
黒のタートルネックもパロアルトの自宅にはこの会場のすべての皆様に
配れるくらい沢山あります。

彼の美の哲学はファッション最初は美しくて時が経つと醜くなるものだが
真のアートは最初は醜いように見えても時が経つと美しくなるものだ、ということ
でした。

また、スティーブは愛のことを喋らせると少女のようでした。
愛は彼にとって最高の美徳であり神の中の神であったのです。
彼はかれの会社の社員達の恋愛についてもトラッキングをして、心配をしていました。

私は彼がローリーン(妻)に初めて会ったときのことを覚えています。
彼は私に電話をしてきて「今日、すてきな女性に会ったんだ。とてもスマートで
犬を飼っているんだ。僕は彼女と結婚する!」と言ったものでした。

長男のリードが生まれたときは嬉しくて喋りだしたら止まりませんでした。
彼はすべての子供に対してフィジカルなダッド(肉体労働系パパ)でした。

彼はリサのボーイフレンドについて心配し、エリンの旅やスカートの丈について
心配し、またイブの乗馬についても心配していました。

ローリーンに対する愛が彼の支えでした。愛は普遍的なものである、この信念に
ついて彼は疑う事も皮肉的に思うことも、悲観的になることもなかった。
このことについて私はまだ学んでいるところです。

億万長者になってからも彼は必ず空港に一人でむかえにきてくれました。
ジーンズをはいて立って私を待っていてくれました。

彼は贅沢ではありませんでしたが
成功をエンジョイしなかったわけではありません。
パオアルトの自転車屋に行って一番高い自転車を買えるんだと嬉しそうに
話していた事を思い出します。そして彼は買いました。

彼はポケット一杯にサプライズを入れている人でした。
亡くなった後もローリーンをびっくりさせるために好きだった歌や
詩を引き出しとか家の中にちりばめているような気がします。

彼は妻と4人の子供に囲まれ幸せを宝箱一杯につめこんだ楽しい生活を
送っていました。

突然の病気が彼から世界を奪っていきました。彼はパリを散歩するのが好きでした。
また京都の手打ちそばを楽しんだこともありました。ダウンヒルスキーを優雅に
楽しみましたしクロスカントリースキーもぎこちなく したこともあります。
でも、すべてが出来なくなってしまいました。
桃を食べるというような日常の楽しみでさえ、彼にはもう無かったのです。
しかし、病気がすべてを奪ってもスティーブに残っている物の多さに驚かされました。

肝臓移植のあとの歩行訓練のことを思い出します。
彼の足は細くなってしまい、彼の体を支える事が出来ないように見えました。
椅子につかまりながらメンフィス病院の廊下をナースステーションまで歩きました。
そして少し休んでまた往復するのです。毎日少しずつ距離を伸ばしていきました。
ローリーンがひざまずいてスティーブの目を覗き込んで「あなたなら出来るわ、スティーブ」
というと唇を引き締めてまた歩き始めるのです。

スティーブは痛みに耐えかねた辛い時にある目標をたてました。それは
リードの高校卒業を見届けること、エリンを京都に行かしてあげること、それに
家族を世界一周に連れて行きローリーンと余生を過ごすために設計したボートの
進水式を見届けることでした。

慢性の肺炎に罹ったときドクターからすべての物を禁止されました。氷もです。

スティーブは特別扱いが嫌いな人でしたがこのときばかりは少しばかり特別扱い
して欲しいといいだしました。紙に書いたメモを見るとドクターのいうことは聞かなくて
いいから氷が欲しいと書いてありました。

いつまでこの世にとどまることができるのか誰にもわかりません。
スティーブの最後の年でも彼は新しいプロジェクトを立ち上げアップルの友人たちに
最後までやり遂げるよう約束させていました。
また、オランダで製作中のステンレスの船は木の板を張って完成するばかりに
なっています。
彼の3人の娘はまだ未婚で下の2人はまだ子供です。
スティーブはさぞかし子供達の結婚式で、彼が私の結婚式で
私にしてくれたと同じように、新婦と一緒に歩きたかったことでしょう。

私たちは皆、ストーリーの途中で死ぬのです。その死の数だけストーリーが
あるのです。

火曜日の朝、スティーブは私に電話をしてきて急いでパオアルトに来るよう
言いました。
彼の声は静かで愛情に満ち溢れたものでしたが、旅の荷物をすべて車に
くくりつけ終わり、家族を残して一人で旅に出るのは本当にすまないといいながらも
これからまさに出発しようとする旅人のようなあわただしさがありました。

彼はお別れの言葉を言い始めました。私は彼をさえぎり、今空港へ向かっている
タクシーの中にいるのよ。すぐに行くわよと言いました。
彼は間に合わないかもしれないと思って電話をしたんだと答えました。

私が着いたときには彼とローリーンは冗談を言い合っているところでした。
それは長い間、一緒に人生を作り上げてきた二人のやりとりでした。
そして彼は子供達の目をみつめると、まるでアンロックできないかのように
ずっと子供達を見続けていました。

午後の2時ころまでローリーンは彼を起こしてアップルの友人達と話を
させてあげることができました。

それからしばらくして彼はもう起きる事ができなくなりました。

息使いが変わったのです。重く、丹念に、なにか目的があるような息使い
でした。あたかも数を数えながら階段を登り、さらに遠くへ遠くへ
行こうとしているようでした。
私には彼は死と向き合って死に働きかけている、死はスティーブには
起こりえない、彼は死を成就しようとしている、そう印象を受けました。

彼が最後に私にさよならを言った時、「ごめん、本当にごめん、一緒に
年をとっていきたいと思っていたんだけどできなくて。。。。
でももっといい場所に旅立つんだ。」と言いました。

ドクター フィッシャーの判断では今晩乗り越えられる確率は50パーセント
のことでした。

なんとかその夜は持ちこたえました。彼の呼吸が止まると私とローリーンは
飛び起きて顔を見合わせました。そうするとまた呼吸がはじまるのです。

死をやり遂げなければならない。死に及んでも彼の横顔は毅然としていて
完全主義者でロマンチストのままでした。彼の息使いからは彼があたかも
山に登っているような厳しい旅をしているんだということが伝わってきました。

スティーブの最後の言葉は死の数時間前でした。
単音節で3回繰り返されました。
旅立ちの前、スティーブは妹のパティを見つめ、そして長い間子供達を
見つめていました。
そして最後に人生のパートナーのローリーンを見つめました。
それから彼らの肩越しに遠くを見つめながら、
「OH WOW.OH WOW.OH WOW」と言ったのです。
それが彼の最後の言葉となりました。

(終)



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バンコクホスピタルでは一日に何回かコンサートが開かれます。
患者さんの心を和ませてあげようという心使いなのでしょう。
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by sheenatsilom | 2011-11-27 08:36 | informative