Just Another Summer Day in バンコク、翡翠おたくのタイ放浪記


いつの間にかタイに居ついてしまった人間のバンコク放浪記
by ポヨさん
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<   2012年 02月 ( 17 )   > この月の画像一覧


ミレニアム ヒルトンで柄にも無くアフタヌーンティー

柄にも無くアフタヌーンティーに行って来ました。

B級グルメ大好きな自分がアフタヌーンティーに行くのは
桃太郎が竜宮城へ行くようなもの、
ミッキーマウスがトムとけんかするようなものです。
わけのわからないたとえですが。。。

ヒルトンのボートがリバーシティーまでお出迎えです。
船頭さんはセーラー服を着ています。さすがヒルトン。
こういう場合は船頭さんではなくてキャプテンとか
オフィサーとかいうのかも。。。
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船内はゆったりしたソファーつき。さすがヒルトン。
いつも乗っている庶民向けの乗り合い船とは違うなあ。。。
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あっという間にミレニアムヒルトンに着きました。

ホテルゲストでなくてもホテルに用事があるふりをして
堂々と乗れば無料です。
さすがヒルトン。太っ腹!!!

隣のいつも乗っているようなおんぼろ渡し船は有料なのに
この違いは何だ。
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一階のリバーサイドのレストランの入り口。B級グルメ人間にとっては
敷居が少し高い。(のは自分だけで、普通の人にとっては敷居は
高くないです。)
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柄にも無くアフタヌーンティーを楽しみます。
まわりに上品な感じの白人たちが居るのでおすましして
ズーズー音をたてずに静かに紅茶をいただきます。
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ペイストリー類が3段トレーに乗って出てきました。
思っていたよりも量が多い。。。
全部食べるのは無理ではないだろうか。。。
これでは実質、あこがれの喰い放題と同じです。
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ケーキ。
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サンドイッチ類。
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ビスケットとマンゴ。
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途中で優雅に紅茶なんかを飲んでるともう食べられなくなってしまう
気がして勢いをつけて一気に食べました。
それでもサンドイッチは半分残し、ビスケットはちょと味見しただけでした。
甘いものをこんなにたくさん食べたのはずーっと前、日本の実家に
里帰りした際、酔っ払って虎屋の羊羹を一本食べてしまって以来です。

帰るころにはヒルトンの向こうに大きな夕日が沈むところでした。
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消費税、サービスチャージ込みで1060バーツ、2800円くらいです。
一人1400円くらい。B級グルメに慣れている自分にとっては
目が飛び出る値段ですが、闘病生活を続けている自分へのご褒美と
いうことで。。。
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by sheenatsilom | 2012-02-29 20:55 | 食事

ターミナル21 その2 不思議な日本語のワンダーランド

ターミナル21の、あるフロアーはタイ人の考えるサイバージャパン、
不思議な日本語のワンダーランドでそこに迷い込んでしまったのでした。

ちょうちんには奇想天外、共存共栄、完全無欠、などと四文字であること以外
には共通性が無い言葉が並んでいます。
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あ、またあったナロKソロ。
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日本を離れて通算20年、最近の日本語の変化についていけません。

例えば、KYという言葉も最初は何のことかわかりませんでした。

空気を読めてその場の雰囲気を的確に把握して判断できる人のこと、即ち
KYとは「機転が、よくきく」の頭文字のKYをとったものなのでしょう。

ですから、「SJさん、それってKYじゃないですか。」などと言われると
嬉しくて、つい微笑みがこぼれてしまいます。

そんな自分は最近の日本語についていけない。。。

ラナア、モモナ  
ラカロヤヤエカム
ナロKソロ

最近の日本語は難しい。。。
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谷中までは読めるのだがそのあとは漢字を忘れてしまったのか読めない。。。
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らーめんの字が裏になっているようだ。
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裏に回って見るとやはり裏だ。。。

表も裏も両方裏だ!!!これではまるで手品ではないか。。。
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お相撲さんを不思議そうに見つめる子供。
タイ人は、日本人が3人集まると相撲の話になると思っているようです。
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帰りにバンラックのKFCのすぐ近くにあるOKFCという店で
フライドチキンを買いました。
KFCとは名前が似ているけれども屋台なので雰囲気は
ほんのちょっと違います。
KFCとは少し違うスパイスを使っていて安くて美味しいのです。
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これ全部で70バーツ。170円位です。しまった!食べきれない。。。
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by sheenatsilom | 2012-02-27 22:33

オリエンタルミステリー ターミナル21 その1

会社の所用でアソーク方面へ行った帰り、新しくオープンしたモール、
ターミナル21に行ってみました。

こんなところに大きな鳥居が。。。なんだろう???
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なにか日本語らしきものが目に付きます。うぐいすだに、、、代々木、原宿、、、
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山手線の駅名のようです。
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高田馬場。すごく昔、松田優作の遺作、ハリウッド映画のブラックレインで見た
仮想の日本みたい。
オー!ワンダフル!オリエンタルミステリー!
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歓迎。鳥居。これはわかる。
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貴重な経験。。。うーん。。。???
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だいじなお客様だ!!!
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私は君に大切な。この後何が続くのだろう?
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希望と平和。今の日本にとってとても重要な言葉です。
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しあわせ提灯。よこ旅行。ふむふむ。
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ナロKソロ?????
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日本を離れて通算20年。最近日本語が不得意になり読めなくなってきた。。。
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by sheenatsilom | 2012-02-26 11:19 | こんなもの見た!

アジアチック ナイトバザール(asiatique the riverfront)、オープンマジカ?

チャロンクルン通りにあるタイヤ屋さんに前後のタイヤの入れ替えに行くと
ちょうど道路の向かいに大きな工事が進んでいます。
これはもしかしてビヤチャーングの社長さんが始めたというナイトバザールか???
と思ってタイヤ屋の主人に聞くとそうだとの答え、開業は2日後とのことです。

偶然、数日前、SHEENの店番のエムさんがビヤチャーングのナイトバザールの
噂を聞きつけ「シーンの2号店を出店しましょう!」と景気のいい話をして
ご主人のバイクの後ろに乗ってトコトコ探しに行ったのですが
見つからなかったのです。

エムさんのご主人はバイクの運転がとてもゆっくりだそうでエムさんは
「あの人の運転は本当にのろいんだから!」といつもこぼしているそうです。

エムさんのご主人は闘鶏が趣味で、自分でも闘鶏用の鶏を
飼育しています。
なにか闘鶏好きというとバイクの運転が速そうですが
闘鶏をしない人は特にバイクの運転がゆっくりということもないと思うので
闘鶏とバイクの運転に相関関係はありそうで無いのでしょう。
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アジアチックという看板が建設中。
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時計台もあります。待ち合わせ場所にいいかも。。。でも昼間は暑そうだ。
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中はかなり広い。ざっとみたところ、ケンタッキー、すき屋、ナラヤなどの
看板がありました。でもまだ工事中。
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まだほとんどの部分が工事中でした。
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オープンが2日後ということなのですが間に合うのでしょうか?
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桟橋があって船が着けるようになっています。
実は、シーンのショールームのあるシーロムビレッジのテナントの
何軒かはこちらに引越しするそうです。
屋台での飲み物販売から始めて一代でアジア有数の金持ちになった
ビヤチャーングの社長さんがプロデュースするナイトバザールなので
いろいろな方法で集客してくれるのではと皆期待して引越しを
決めたようです。
噂では船でも観光客を連れてくるということでしたが
大きな桟橋を見ると噂は本当なようです。

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ビヤチャーングのビヤガーデンのようです。
古い倉庫街を改装したウォーターフロントのコンセプトみたいです。
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将来のビヤガーデンから河を望む。
オープンしたら早速来てみよう。
もし、このモールにシーン2号店をオープンしたら毎晩ここで飲んでそうで怖い。。。
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by sheenatsilom | 2012-02-24 15:41 | こんなもの見た!

ターチンリバー2 女性バックパッカー、イアンさんのおばあさん。

イアンさんのおじいさん、李さんは長旅のはてにバンコクの西を流れる
ターチンリバーにたどり着き、その河口の街マハーチャイでタイでの
人生の一歩を踏み出したのでした。

李さんはマハーチャイの鉄道駅の近くにある市場の、中国人が主人の鮮魚問屋で
下働きとして働き始めました。魚を船から降ろしたり、電車に積み込んだり
する仕事です。しばらく、そこで働いてなにがしかの資金を作り、
独立して仕事を始めました。
プラートゥというアジの一種の魚を仕入れ、かごの中に入れてスティームしてから
売る仕事です。李さんはマハーチャイの市場でプラートゥを仕入れ、船で
運河沿いの村々を回り売り歩きました。
プラートゥは日持ちがするので今でもローカルなマーケットでよく見かけます。
内臓が臭くなるのを防ぐためか首を曲げてから加工するのが特徴です。
タイ語でフアゴーといいます。首がよく曲がっているほど美味しいそうです。
自分がタイに来てまだ間もない頃、首の曲がった種類の魚だと思っていました。
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李さんは船で運河沿いの村々を回り、魚を売る仕事を続けました。
昔、日本でもトラックで魚を売り歩く魚屋さんが居ましたがそのような
仕事だったのでしょう。
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そして家も借りて生活の基盤ができると
中国に残してきた奥さんに手紙を書き、人づてに届けて貰うように郷土の
人に頼んだそうです。
その手紙は何年か振りの消息を知らせる内容で、「今はタイに居る、生活の
基盤ができたのでタイに来ないか」というものだったようです。

そして、人づてに奥さんからの返信が届くまでにまた1年以上の長い年月が
かかりました。
その間に李さんはタイ人の女性と結婚し、子供もできたのです。
その後数回の手紙のやりとりの後、最終的に奥さんと子供がタイに
来る事になりました。

奥さんは子供をつれてカバンひとつでジャンク船に乗り1ヵ月半かかって
ターチンリバーに着いたそうです。子供連れのバックパッカーみたいなものです。
李さんが家を飛び出してから5年以上の歳月が立っていました。
生まれたばかりの子供ももう5歳以上になっていました。

長旅のあと、苦労してタイに着いて奥さんはさぞかし、がっかりしたことでしょう。
李さんには新しい奥さんが居て子供もいるのです。

中国からきたばかりの奥さん即ち、イアンさんのおばあさんですが、
彼女はしばらく、李さんの近くに住み、プラートゥを売る仕事を
手伝っていましたが、タイ人の新しい奥さんとの折り合いが悪く、
子供つまりイアンさんのお父さんを連れてバンコクに移りました。
今のトンブリーサイドのサムレーというところだそうです。

イアンさんのおばあさんはそこの中国人社会のなかでプラートゥを
天秤棒をかついで売って歩き、慣れない異国で女手ひとつで
イアンさんのお父さんを育てました。
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イアンさんのお父さんは10歳で宝石職人の工場に丁稚奉公に入り、後に、
独立して自分で工房を持ち、人を何人か使うまでになります。

イアンさんのおばあさんは李さんのタイ人の奥さんのことがトラウマだったのか
死ぬまでタイ人が嫌いで、中国人社会の中だけで生きて来たようです。
亡くなる直前まで中国の故郷を懐かしく思っていて、いつも中国に帰りたいと
言っていたそうです。でも、一ヶ月半にも及ぶ船旅が大変苦痛だったようで
もう、あんな思いはしたくないと言って結局、帰郷する機会も無く亡くなって
しまったのです。70歳くらいで2,3ヶ月調子が悪く、横になっていて静かに
息を引き取ったそうです。

イアンさんのおじいさんは後年、マハーチャイの近くのクラトゥムバン
というところで養豚場を始めました。
病気になることもなく70歳過ぎである朝、亡くなっていたそうです。


バンコクに住んでいるとどんな小さな商売でも商店主は中国人が多く、中国人
以外を探すのが難しいくらいです。彼らは中国のしきたりを忠実に守っています。
中国人のコミュニティーには必ず祠があり、日常的にお祈りをして
心の支えにしているようです。
きっと異郷の地で望郷の思いにかられた時、故郷と同じ祠にお参りすることで
心が救われたこともあったのでしょう。
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お金持ちのソサエティーには豪華な祠が有り、
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そうでないところにはそれなりの祠があります。
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中国人の家では春節のときに、紅い提灯を飾る習慣があります。
きっと、この提灯の数だけ、壮大なドラマがあるのでしょう。
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by sheenatsilom | 2012-02-22 14:29 |

ターチンリバー、1 究極のバックパッカー イアンさんのおじいさん

我々の知っているバンコクに居る中国系の人々は第三世代目の
人が多いようです。おじいさんの時代の中国は戦争があったり、
仕事が無かったりで生きてゆくのが大変だったのでしょう。

イアンさんのおじいさんもその時代にタイに流れて来た一人です。
今日、会社でおじいさんの冒険談をイアンさんに、根掘り葉掘り、
聞きました。

中国の、とある街に住んでいたイアンさんのおじいさん、李さんは
20歳過ぎで結婚、1児をもうけましたが仕事が無く、ある時、
出稼ぎに行ってくると言い残して家を出てしまいました。
子供が生まれてまだ数ヶ月の頃でした。

李さんは荷物の積み下ろしで混雑する波止場に行き、行き先も
知らずにルアサンパオ、ジャンク船に飛び乗ってしまったそうです。

あちこちに寄航しながら1ヶ月半ほどかかってたどり着いた先がバンコクの
西、ターチンリバーでした。
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「たまたま乗った船がターチンに来たということは、もしその船が
アメリカにいっていたらイアンさんは今頃アメリカ人だね。」
というとイアンさん、
「もしそうだとすると、お父さんはお母さんと知り合わなかったから
自分は生まれていない。」と言っていました。それはあたりまえだ。。。

ターチンリバーはバンコクの西を流れるチャオプラヤー川の支流です。
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ターチンのターはPORT、港と言う意味で、チンはCHINA、中国です。
つまり、ターチンリバーのターチンは中国の港と言う意味です。

現在のマハーチャイのあたりは以前はムアングターチンと呼ばれていました。
中国の港町と言う意味です。現在は改名されて正式名称はサムトサコンです。

この街は随分前から中国のジャンク船の寄港地で中国人の移民の
ゲートウェイだったそうです。
イアンさんのおじいさんの李さんも長旅の末、この街に着いたのです。

余談ですがこの街はサムトサコン県の県庁所在地でサムトサコン県の
県章(県のロゴ)は面白いことに中国のジャンク船です。
絵の下の文字はチャンワットサムトサコン(サムトサコン県)と
書いてあります。
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これはこの街が長い間中国船の寄港地でタイ経済を支える中国人たちの
ゲートシティーだったことによるものです。
若かりし頃のイアンさんのおじいさんはこの街でタイでの人生の一歩を
踏み出したのでした。

ターチンリバー2に続く。
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by sheenatsilom | 2012-02-21 09:31 |

究極のバックパッカー、バンコクの中国人のおじいさん達 それとODDS!ステーキハウス。

バンコクの中国系の人々と話をしていると、よく先祖がどうやって
バンコクにたどり着いたかという話になります。

今の世代のおじいさんが中国からバンコクに来た人が多いのですが、
第一世代はタイ語が話せないのでお父さんからおじいさんの
冒険談を聞かされることが多いようです。

アートラインの社員のイアンさん、アーさんも中国系でおじいさんは
ルアサンパオ(ジャンク船、中国の帆船)に乗ってバンコクに
たどり着いたそうです。

ワークショップの壁を作ってもらったり、自宅コンドの内装工事を
やってもらったキティさんはおじいさんが歩いて中国からラオスに来て、
その後、お父さんがラオスからバンコクに移ってきたそうです。

聞いた中での最長不倒距離は友人のガールフレンドのジェーンさんの
おじいさんで中国から歩いてベトナムへ行き、さらに歩いて
タイの北部の町、ナコンパノムまで来たそうです。
究極のバックパッカーです。

明日、オフィスに行ったら、イアンさんかアーさんのどちらか
暇そうな人におじいさんの冒険談を、根掘り葉掘り、聞いてみようと思います。

自宅とオフィスの間、といっても車で5分くらいの距離ですが
市街地のど真ん中に忘れ去られた感じの中国式の墓地があります。
バンコクの中国人移民史を辿る(おおげさ)という意味で訪ねてみました。


こんなところに中国式の3重の塔が。。。寂寥的異国情緒。。。
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いかにも、という寂しげな木々の枝々の間を熱帯の乾いた風が蕭々と
吹き通っていきます。
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忘れ去られた感じのお墓。
ここに埋葬されている中国人の子孫達もアメリカとかカナダなど世界の各地へ
移っていってしまったのでしょうか。
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さて、夜になり、気分は打って変わって180度転換して、ピザを食べたくなり、
オフィス近くのODDS!でテークアウトしました。
ここはチャロンクルン通りからオリエンタルホテルに入るソイの
中央郵便局側1本隣のソイを入った所にあります。
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以前は外で食べる事も多かったのですが、最近はテークアウトして
自宅で食べる事が多くなりました。
というのは最近、バンコクでも飲酒運転の取り締まりが厳しくなりこの辺では
ナラティワート通りでよくやっています。外食すると帰りはこの道でUターンして
帰ることが多いのでびくびくしながら食事をするのは嫌だからです。
さて、お目当てのピザ。
ハムアンドマッシュルームです。
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フイッシュアンドフレンチフライ。
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健康のためトマトたっぷりのパスタは自分で作りました。
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これで297バーツ。700円ちょっと位。バンコクは何を食べても安くてうまい。
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by sheenatsilom | 2012-02-19 11:40 |

バックパッカーになれなかった男。4 スワニー食堂探訪。

バンコク楽宮ホテルの1階にあるスワニー食堂を日中訪れたのですが
スワニーさんは居ませんでした。
そこで、夜になって再び訪ねてみました。
ホワランポーン駅方面から来てサンティパープ通りを曲がります。

今回の探訪で楽宮ホテルの名前は通りの名前に由来していると
いうことがわかりました。
タノン サンティパープ(平和通り)⇒ロングレム サンティパープ(平和の宿)
それを中国語に訳して楽宮旅社になったのでしょう。
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人気のない寂れた通りにスワニー食堂のところだけ明るい光が漏れています。
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随分昔にお客さんの日本人の誰かが書いたのでしょうか、年季のはいった
手書きの看板が時の流れを感じさせます。
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これもまた時代を感じさせるメニュー。
値段のところだけ書き換えてあるけれどそれでも
ほとんどのメニューが30バーツ位。
3品ほど注文して考えているとスワニーさんはすかさず、
「アサリの味噌汁は?」と聞きました。

ブログで読んだ20年前のスワニーさんと一緒だ!!!

断るとスワニーさんは鬼瓦みたいな顔をしたそうです。
そこで、慌ててアサリの味噌汁も追加注文したことは言うまでもありません。
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またまた歴史を感じさせる雑誌や小説の数々。
タイムカプセルを開けたときみたいです。
ここはまだインターネットが普及していなかったころ、バックパッカー達の
情報交換の場所だったそうです。
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一冊の本を手にしました。タイトルがここの雰囲気と合いすぎです。

バンコクの場末、しかも放浪者たちも消えていった廃墟のビルの
一角の食堂。そしてこの本を手にしている自分。
この本のタイトル、わかる気がします。

この本にシンクロナイズして、未来に展望が開けず、常に日本に
居場所が見つからない思いで居た頃の自分を思い出しました。

天井の青白い蛍光灯を見ていたらキッチンから流れてくる煙が
昔の放浪者たちの吸う煙草の煙のようにも思え、
この食堂が放浪者たちで賑わっていて、ビールを飲みながら
煙草の煙のなかでそれぞれが冒険談や自慢話をしている、
そんな光景が彷彿としてきました。
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昔、バックパッカーだった人が懐かしんで訪れているのでしょうか。
ひとりで静かにビールを飲みながら食事をしています。
国連事務総長に似ているような上品な感じの人です。
もしかして国連事務総長さんがおしのびで来ているのかも。
なんてことはさすがに無いでしょう。
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スワニーさん。海千山千の放浪者たちを相手にしていたのでもっと
強い感じの人かと思っていたのですが、優しい感じの人でした。
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レバニラ炒め。
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やさい炒め(だったと思う)。
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オムレツ。
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定番アサリの味噌汁。
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どれもこれも、思ったよりも美味しくなにか懐かしさを感じさせる味でした。
これ全部で110バーツ。260円くらいでしょうか。
いくら昔、貧乏なバックパッカーを相手にしていたといってもこの物価高の折、
もっと値上げしてもいいと思うのですが。。。
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by sheenatsilom | 2012-02-17 00:34 |

バックパッカーになれなかった男。3 

タイ各地での放浪の旅からバンコクに戻ってきて
タイを去る日にふとバンコク楽宮ホテルのことを
思い出し訪ねてみることにしました。

まず、ヤワラーに行ってそこから地球の歩き方をたよりに
ソイを歩きながら探しましたが今なら簡単に行ける
7月22日ロータリーにもたどり着けない有様でした。

結局、帰国便の出発時刻がせまり、あこがれの楽宮ホテル
探訪はかなわなかったのです。

その後、米国留学とかいろいろな人生の転機が重なり
楽宮ホテルのことは記憶のかなたに押しやられていました。

そして最近、何かのきっかけでバンコク楽宮ホテルの文字
が目に留まり、バックパッカーの旅にあこがれた日々が
記憶の奥底から蘇ってきたのです。

そこで昔かなわなかった夢の楽宮ホテル探訪に再挑戦
してみることにしました。

まず、7月22日ロータリーを目指します。
すると、朽ちかけた幽霊ビルが目に留まります。
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ここはジュライホテルだった所です。
ここは一時期、楽宮ホテルと並びバックパッカーのオアシスかつ
聖地だったようです。
ところが、日本のTVでドラッグ中毒者の巣窟というように
大袈裟に報道されてしまったため、その後、警察の手入れが
厳しくなり、閉鎖に追い込まれたいわくつきのホテルだそうです。

ジュライロータリーの中からジュライホテルを見る。
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このジュライロータリーは昔は木がうっそうと繁っていて
夜になると売春婦の人々、それをあてこんだ屋台が集まってきた
そうですが、今は防犯のためか木は切られてしまい
南国の陽光が容赦なく照りつけ、人影もありません。

この熱い太陽の下でジュライホテルを見ていると
熱せられたコンクリートから立ち登る陽炎の向こうで
ホテルの窓が時を超えて次々と開き、昔のバックパッカーたちの
幻が見える、そんな気がしてきました。

ジュライホテルの大きなエントランスの前には屋台が陣取り
おばさんが昼寝をしています。静寂な午後のひとときです。
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ホテルのエレベーターホールを見上げる。
強者どもの夢の跡。
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ジュライホテルからホワランポーン駅方面に歩いて行きしばらく探し回ると
ありました!楽宮ホテルの看板の跡が。。。
随分前に閉鎖されてしまったらしく入り口のシャッターにはベニヤ板が
貼り付けてありました。
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看板には楽宮大旅社と書いてあったようです。
タイ語では「ロングレーム、サンティパープ」と書いてあります。
平和の宿という意味です。

ここが小説「バンコク楽宮ホテル」の舞台となったところです。
ここはバックパッカーたちのサンクチュアリ。
アジアやインド各地から戻ってきたバックパッカーたちが
日本に帰る前に羽を休めたところなのだそうです。

ネットからお借りした画像です。
楽宮ホテルの壁のいたずら書きは傑作ぞろいで有名だったようです。
昔の地球の歩き方にも「豊かな青春、みじめな老後」という落書きが
紹介されていました。
身につまされる言葉です。
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楽宮ホテルの全景。2階から4階がホテルで思っていたよりも
ずっと大きなホテルでした。
スワニー食堂(北京飯店)の看板が見えます。
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スワニー食堂は海外で日本食が珍しかった頃、各地を放浪して帰ってきた
バックパッカーたちが久しぶりの日本の味を廉価に楽むことのできた
バンコクで唯一の場所だったそうです。

女主人のスワニーさんは客の注文を聞き終わると必ず片言の日本語で
「アサリの味噌汁は?」と聞き、断ると鬼瓦のような顔をしたそうです。
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訪ねていったときには店のシャッターが半分閉まっていました。
中を覗くとスワニーさんらしき人は居らず、男の人がテレビを見ていたので
聞くと夕方5時半から開店するとのことでした。
そこで出直して来ることにしました。
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by sheenatsilom | 2012-02-14 19:54 |

バックパッカーになれなかった男。2

バンコクに1泊した後、バスでカンチャナブリーに向かいました。
カンチャナブリーのバスステーションで知り合ったサムロー(自転車式の
3輪車)のお兄ちゃんにゲストハウスに連れて行ってもらいました。

1泊250円(今のレートだと150円)くらいだったように
記憶しています。バックパッカー志望だったので
一番安い宿を紹介してもらったのです。

部屋に行くとそこはバンガロー形式のところで竹を編んで作った
納屋みたいな小屋でした。

竹を編んで作ってあるので外が見えるし、夜は外から中が見えます。
床は土を盛り上げてあるだけで、土の上にビニールシートが敷いて
あります。
小屋の中にあるものといえばビニールのマットレスと暗い裸電球
だけです。
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夜になり寝ていると蚊の襲撃に合い痒くてとても寝られません。

無理して横になっているといるとシャツの中がちくちくします。
電気をつけてみるとびっくり、マットレスのところが
蟻の大群の通り道になっていて蟻の列が黒い帯のように見えます。
体には何百匹の蟻が這い回っています。

これはもう、寝られないと思い、部屋を変えてもらいに受付に行くと
受付といっても藁葺きの屋根があるだけですが、深夜なので
係りの女の子は帰ってしまい誰も居ません。
部屋の隅の蟻の居ない所に膝をかかえて座り、朝の来るのを
待っていました。
早く朝が来てくれることだけを願い、こんなに朝が来るのが
長く感じたのは初めてのことでした。

やっと、夜が明けたと思ったら今度はお腹が痛くなり
遠くにある共同トイレに行くと仰天。

部屋の中におまると水の入っているペンキ缶とひしゃくが
置いてあるだけで水道も紙も無い!!!
慌てて痛いお腹をかかえて部屋に戻り紙を取って来ました。

朝食はそのバンガローの付属の屋台みたいな所で食べました。
隣のテーブルにすわったのがファラン(白人)の女の人で
イギリスで学校の先生をしていると言っていました。

そのイギリス人はこのゲストハウスに1週間も泊まっていると言う
のです。こんなところに1週間泊まるなんて考えられない。。。
この時点で自分にはバックパッカーは無理だと悟りました。
2日目にして早くもバックパッカー脱落です。

その後、1ヶ月ほどタイを回ったのですが2度とゲストハウスに
泊まる事はありませんでした。
エアコンつきのリーズナブルな中級ホテルを泊まり歩いていました。

話はそれますが、白人は本当にタフです。
親友のデービッドとピズモビーチというサンフランシスコと
ロスアンジェルスの間にある砂丘の海岸にバギーを乗りに
行った時のことです。

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夜はテントを張って寝たのですがあいにく豪雨になりテントの
中にも水が入ってきました。自分はなかなか寝付けなかったのですが
デービッドは水溜りのなかでスースーと気持ち良さそうに寝ています。
それを見てこいつらと戦争しても勝てっこないなあと思いました。

白人は本当にタフです。
狩猟民族と農耕民族の違いでしょうか。

ゲストハウスのことを回想していたら思い出が次々に
蘇ってきました。

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タイの各地を放浪し、メーサイではバイクを借りて北部の山々を山岳民族を
訪ねて走り回りました。

メーホーンソンの近くではモトクロス用のバイクを借りて
川の中を走ったり、細いつり橋を渡ったりして首長族の部落に行ったりしました。
つり橋を渡った時はバイクを押して歩くだけの幅が無く、息を止めて
一気に走ったのですが、途中何ヶ所も板がはずれていて怖い思いをしました。

そうして、バンコクに戻ってきてふと、バンコク楽宮ホテルのことを
思い出したのでした。
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by sheenatsilom | 2012-02-13 16:06 |