Just Another Summer Day in バンコク、翡翠おたくのタイ放浪記


いつの間にかタイに居ついてしまった人間のバンコク放浪記
by ポヨさん
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実妹 モナ・シンプソンよりスティーブ・ジョブズに贈る追悼の言葉。

ニューヨークタイムズの10月30日版の中に興味深い記事があったので
翻訳してみました。

アップルコンピューターの創設者のスティーブ ジョブズ氏の実妹の
モナ シンプソンさんから兄に贈る葬儀会場における追悼スピーチです。


モナ シンプソンさんはUCLAの教授でスティーブ ジョブズ氏の実妹ですが
スティーブ ジョブズ氏が貧困のためにアダプト(養子)に
出されたため、大人になるまでお互いの存在を知らなかったといういきさつが
あります。
原文は5ページに及ぶ長文のため所々要約、省略したところがあります。


モナ シンプソンさんの追悼スピーチ(the new york timesより)

私はシングルマザーの貧しい家庭に育ちました。
父は電話番号も住所も残さず去って行ってしまったので私は小さいときから
父がいつかお金持ちになって私の人生の中に戻ってくれることを願っていました。

しかし、戻ってきたのは父ではなく兄だったのです。

私がニューヨークに居て初めての小説を書こうとしていた頃のことです。
私は小さな雑誌社につとめていました。クローゼットほどの小さいオフィスで
3人の同僚がいました。
ある日、弁護士から電話があり、「あなたには兄がいて、その人はとてもお金持ちで
有名な人です。その人があなたに会いたがっている。」と告げました。
その人の名前を尋ねるとその弁護士は今は答えられないと言いました。
1985年の事でした。あたかもディケンズの小説の策略のなかにはまってしまった
ような感じでした。

同僚達と賭けが始まりました。同僚達の一番の候補はジョントラボルタでした。
私は密かにヘンリー ジェームスの小説の理解者で、私より才能があり、
努力もしないでなんでも出来る人だったらいいなあと思っていました。

私が始めてスティーブに会ったときは同年代でジーンズをはいて
アラブかジューイッシュの容貌で、オマーシャリフよりハンサムでした。

そのとき何を話したか多くは思い出せないのですが、長い散歩をしながら
話をして、偶然二人とも散歩が大好きということがわかったのです。
最初の日の印象はスティーブは私が友達に選ぶタイプの人だということ
でした。
私はその当時コンピューターに疎くてOLIVETTIのタイプライターを使っていました。
スティーブにCROMEMCOというコンピューターを買おうと思うんだけど、と言うと
彼は「ちょっと待ったほうがいい。今、信じられないくらいにかっこいいPCを
作っているところなんだ。」と言いました。

彼はいつでも一生懸命でした。たとえ失敗したとしても一生懸命すぎることを
恥ずかしいと思わない人でした。

アップルを追放されたときは痛々しかったです。かれは大統領を囲んで500人の
シリコンバレーのリーダー達が集まるディナーにも招待されませんでした。
彼は傷つきましたが仕事を淡々とこなしていました。

改革者のわりには物事にロイヤルティーがある人でした。
ひとつのシャツが気に入ると10から100はオーダーしました。
黒のタートルネックもパロアルトの自宅にはこの会場のすべての皆様に
配れるくらい沢山あります。

彼の美の哲学はファッション最初は美しくて時が経つと醜くなるものだが
真のアートは最初は醜いように見えても時が経つと美しくなるものだ、ということ
でした。

また、スティーブは愛のことを喋らせると少女のようでした。
愛は彼にとって最高の美徳であり神の中の神であったのです。
彼はかれの会社の社員達の恋愛についてもトラッキングをして、心配をしていました。

私は彼がローリーン(妻)に初めて会ったときのことを覚えています。
彼は私に電話をしてきて「今日、すてきな女性に会ったんだ。とてもスマートで
犬を飼っているんだ。僕は彼女と結婚する!」と言ったものでした。

長男のリードが生まれたときは嬉しくて喋りだしたら止まりませんでした。
彼はすべての子供に対してフィジカルなダッド(肉体労働系パパ)でした。

彼はリサのボーイフレンドについて心配し、エリンの旅やスカートの丈について
心配し、またイブの乗馬についても心配していました。

ローリーンに対する愛が彼の支えでした。愛は普遍的なものである、この信念に
ついて彼は疑う事も皮肉的に思うことも、悲観的になることもなかった。
このことについて私はまだ学んでいるところです。

億万長者になってからも彼は必ず空港に一人でむかえにきてくれました。
ジーンズをはいて立って私を待っていてくれました。

彼は贅沢ではありませんでしたが
成功をエンジョイしなかったわけではありません。
パオアルトの自転車屋に行って一番高い自転車を買えるんだと嬉しそうに
話していた事を思い出します。そして彼は買いました。

彼はポケット一杯にサプライズを入れている人でした。
亡くなった後もローリーンをびっくりさせるために好きだった歌や
詩を引き出しとか家の中にちりばめているような気がします。

彼は妻と4人の子供に囲まれ幸せを宝箱一杯につめこんだ楽しい生活を
送っていました。

突然の病気が彼から世界を奪っていきました。彼はパリを散歩するのが好きでした。
また京都の手打ちそばを楽しんだこともありました。ダウンヒルスキーを優雅に
楽しみましたしクロスカントリースキーもぎこちなく したこともあります。
でも、すべてが出来なくなってしまいました。
桃を食べるというような日常の楽しみでさえ、彼にはもう無かったのです。
しかし、病気がすべてを奪ってもスティーブに残っている物の多さに驚かされました。

肝臓移植のあとの歩行訓練のことを思い出します。
彼の足は細くなってしまい、彼の体を支える事が出来ないように見えました。
椅子につかまりながらメンフィス病院の廊下をナースステーションまで歩きました。
そして少し休んでまた往復するのです。毎日少しずつ距離を伸ばしていきました。
ローリーンがひざまずいてスティーブの目を覗き込んで「あなたなら出来るわ、スティーブ」
というと唇を引き締めてまた歩き始めるのです。

スティーブは痛みに耐えかねた辛い時にある目標をたてました。それは
リードの高校卒業を見届けること、エリンを京都に行かしてあげること、それに
家族を世界一周に連れて行きローリーンと余生を過ごすために設計したボートの
進水式を見届けることでした。

慢性の肺炎に罹ったときドクターからすべての物を禁止されました。氷もです。

スティーブは特別扱いが嫌いな人でしたがこのときばかりは少しばかり特別扱い
して欲しいといいだしました。紙に書いたメモを見るとドクターのいうことは聞かなくて
いいから氷が欲しいと書いてありました。

いつまでこの世にとどまることができるのか誰にもわかりません。
スティーブの最後の年でも彼は新しいプロジェクトを立ち上げアップルの友人たちに
最後までやり遂げるよう約束させていました。
また、オランダで製作中のステンレスの船は木の板を張って完成するばかりに
なっています。
彼の3人の娘はまだ未婚で下の2人はまだ子供です。
スティーブはさぞかし子供達の結婚式で、彼が私の結婚式で
私にしてくれたと同じように、新婦と一緒に歩きたかったことでしょう。

私たちは皆、ストーリーの途中で死ぬのです。その死の数だけストーリーが
あるのです。

火曜日の朝、スティーブは私に電話をしてきて急いでパオアルトに来るよう
言いました。
彼の声は静かで愛情に満ち溢れたものでしたが、旅の荷物をすべて車に
くくりつけ終わり、家族を残して一人で旅に出るのは本当にすまないといいながらも
これからまさに出発しようとする旅人のようなあわただしさがありました。

彼はお別れの言葉を言い始めました。私は彼をさえぎり、今空港へ向かっている
タクシーの中にいるのよ。すぐに行くわよと言いました。
彼は間に合わないかもしれないと思って電話をしたんだと答えました。

私が着いたときには彼とローリーンは冗談を言い合っているところでした。
それは長い間、一緒に人生を作り上げてきた二人のやりとりでした。
そして彼は子供達の目をみつめると、まるでアンロックできないかのように
ずっと子供達を見続けていました。

午後の2時ころまでローリーンは彼を起こしてアップルの友人達と話を
させてあげることができました。

それからしばらくして彼はもう起きる事ができなくなりました。

息使いが変わったのです。重く、丹念に、なにか目的があるような息使い
でした。あたかも数を数えながら階段を登り、さらに遠くへ遠くへ
行こうとしているようでした。
私には彼は死と向き合って死に働きかけている、死はスティーブには
起こりえない、彼は死を成就しようとしている、そう印象を受けました。

彼が最後に私にさよならを言った時、「ごめん、本当にごめん、一緒に
年をとっていきたいと思っていたんだけどできなくて。。。。
でももっといい場所に旅立つんだ。」と言いました。

ドクター フィッシャーの判断では今晩乗り越えられる確率は50パーセント
のことでした。

なんとかその夜は持ちこたえました。彼の呼吸が止まると私とローリーンは
飛び起きて顔を見合わせました。そうするとまた呼吸がはじまるのです。

死をやり遂げなければならない。死に及んでも彼の横顔は毅然としていて
完全主義者でロマンチストのままでした。彼の息使いからは彼があたかも
山に登っているような厳しい旅をしているんだということが伝わってきました。

スティーブの最後の言葉は死の数時間前でした。
単音節で3回繰り返されました。
旅立ちの前、スティーブは妹のパティを見つめ、そして長い間子供達を
見つめていました。
そして最後に人生のパートナーのローリーンを見つめました。
それから彼らの肩越しに遠くを見つめながら、
「OH WOW.OH WOW.OH WOW」と言ったのです。
それが彼の最後の言葉となりました。

(終)



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バンコクホスピタルでは一日に何回かコンサートが開かれます。
患者さんの心を和ませてあげようという心使いなのでしょう。
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by sheenatsilom | 2011-11-27 08:36 | informative

バンコクホスピタルでの日常

バンコクホスピタルの一日は音楽を聴きながらちょっと熱めのシャワーを
浴びて気分をシャキッとさせることから始まります。
音楽はあまりうるさくないスムースジャズとかエクレクティックな
感じのものが多いです。

その後、病院の一階にあるコーヒーショップに行きコーヒーを飲みながら
ボーっとしたり新聞を読んだりしてのんびりした時間を楽しんでいます。

毎日が日曜日みたいでこれで病気でなければ最高なんですが。。。
でも病気でなければ病院にいるわけないか。。。。

きのうはオーボンパン、今日はスターバックスです。
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午前中の柔らかい陽ざしの中で飲むコーヒーは最高のリラックスタイムです。
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バンコクホスピタルはとても大きい病院でコーヒーを飲みに行く時も
こんな通路を通っていきます。なんか空港みたいです。
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さて、コーヒータイムが終わると朝食です。
朝食はこんな感じ。
今日はウェスタンです。
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3食の献立は和食、ウエスタン(洋食)、タイ料理、モスリム料理から選べます。
以前は和食だったのですが、量が多すぎて食べきれないので最近は
ウエスタンが中心です。
例えばある朝の和食の献立はレバニラ炒め、湯豆腐、エノキダケのおひたし、味噌汁、
フルーツでした。
これが全部3人前くらいあるのです。なにか日本人の患者さんが少なくて余った
日本食が集中して自分の所に来ているような。。。。

それから、なぜか和食の場合、ご飯はハートの形に型押しして盛ってあって、
その上にハートの形に切ったにんじんがちょこんとのっかっています。
給食のおばさん、ボクのこと好きなのかなあ、なんて思いませんが、
冷えたご飯もアツアツの気持ちで食べさせてあげようという心遣いなのか
それとも病院だから心臓に関係あるのかなんて、ハートとにらめっこしながら
考えていました。




自分には関係ない科ですが、UROLOGY(泌尿器科)と小便小僧。
タイ人のこのユーモア魂、クールです!!!
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バンコクホスピタルには航空医療科があります。
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ヘリポートには専用機が常駐していて1日に何回も患者さんを引き取りに
出動していきます。
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腕利きのパイロットと自分。両人とも健康そうにみえますが左が病人です。
でも、ドクターが未だに病気の原因がわからないといって首をひねっているくらい
健康で、悪い所は目と頭くらいです。
頭が悪いのは生まれつきです。。。。。

遠いところではカンボジアに緊急出動することもあるそうです。
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ちょっと見にくいですがヘリの夜間の発着。ビルの谷間にあるヘリポートなので
ぶつかりそうで見ているとひやひやしますがいつも一発でドンピシャです。
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午後は眼科と脳神経科の検査や治療がはいります。
検査や治療はやはりストレスなのでこれが終わるとほっとします。

夕方、涼しくなってきた頃、病院のまわりを1時間くらい散歩します。
で、必ず行くのがペッブリー通りにあるフルーツ屋台。
ここでフルーツを買って、行儀が悪いですが、食べながら帰ります。
これも1日の終わりのささやかな楽しみです。
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by sheenatsilom | 2011-11-22 08:34 | informative

バンコクホスピタルに入院しました。

バムルンラート病院で過剰とも思える検査をしてもらったのですが、
検査に時間を費やした割には精査した診断を
してもらえず結局、マイグレインヘダック、偏頭痛ということになりました。
視力がだいぶ落ちてしまったので、バムルンラートを退院して、すぐにオフィスに戻り、
大慌てで最小限の身の回り品を持って空港に行く途中にあるバンコクホスピタルに
向かいました。
診断の結果は比較的早くわかりました。
結果はCentral Retinal Artery Occlusion (網膜中心動脈閉塞)でした。
この病気は短時間で失明に至る怖い病気らしいです。

普通は心臓や血管に病気のある人がなる事が多いそうですが、若い人でも
なることがあり、原因も完全には究明されていないようです。
自分の場合も心臓や血管は問題なかったので、原因がわからない非常に稀な
ケースといわれました。
そのため、膠原病も疑われ骨髄液の検査もしました。
バムルンラートの診断の偏頭痛の可能性を消すためか頭に電極をたくさんつけて
脳の検査もしました。

診断の結果、治療が難しい事が告げられました。その瞬間、頭の中を冷たい風が
吹き込んでくる感じがしました。

部屋に戻り、ベッドに寝転がってボーとしていると、脳神経科の主治医が入ってきました。
そして、眼科医は難しいと言っているけれどもステロイドで視力が多少回復する例も
報告されているので希望を捨てないでがんばろうと言ってくれました。

その瞬間、この何日間、心の底にしまっておいた不安や絶望が一気に吹き出して
ドクターが前にいるのに涙が止まらず、下を向いて嗚咽をこらえていました。

その直後から治療です。眼圧を下げたり、て血流をよくしたりしながらステロイドを
点滴します。部屋にいる間はオキシジンハングリーな網膜細胞のために酸素吸入を
しています。



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バンコクホスピタルの病室。バムルンラートがシティホテルならこちらはタイの地方の
高級ホテルという感じです。バムルンラートより全然広くて使いやすい。




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ベッド。壁もドアも厚くて音が外に漏れないので気兼ねせずに好きな音楽が聴けます。
看護婦さんも気分のいい音楽ですね、と言ってくれました。




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トイレ




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シャワー





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リクライニングチェアー。この椅子に座って音楽を聴いたり外の景色を見たりしています。




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部屋から見える風景。バンコクの郊外の町ですが、緑のなかに
遠くの方に高層ビルが立ち並び、何か、
懐かしいカリフォルニアのような風景です。ロスアンジェルスとサンディエゴの間に
ある、アーバインというような感じでしょうか。
この風景には心が癒されます。


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夜はビルの灯かりが綺麗です。




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朝食前には必ずスターバックスかオーボンパンかたまにブラックキャニオン
に行って朝日のなかでコーヒーを飲みます。大好きな時間です。
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by sheenatsilom | 2011-11-19 08:51 | informative

退院後、再、再入院しました。

バムルンラート病院を退院した2日後また目が見えなくなりました。夜、家でPCを見ていたら、
突然、左目の前が光りだし何も見えない状態になりました。
家に居たのでパニックになりながらも下着とか洗面具をカバンに詰め、
それから家中の電源を切って回ります。
真っ暗なうえ、左目の強い光が邪魔となり右目もよく見えません。
手探りであっちこっちぶつかりながら電気を消して回りました。

出かける前、あ、そうだ!と思い冷蔵庫の中にあったビールの6缶入りパックをかばんの
一番下に隠して置きました。
火事のときに枕を持って逃げる人が居ると聞いたことがありますが
自分の場合はビールだということがわかりました。

タクシー代も無かったので近くのATMに行きお金をおろしました。
そうしているうちに左目から光はほとんど消えていきます。
タクシーのなかでほとんど左目は見えなくなり、これで2度目ですから
網膜の細胞が相当痛んでいると思われ失明を覚悟しました。
緊張と不安で喉はからからです。

結局、バムルンラートには2泊しました。
2日間、検査に検査を重ね、ありとあらゆる検査をしました。

とても不運だったのはエマージェンシーで入院したので、
神経内科と眼科の50代の窓際族みたいな暇なドクターが主治医になってしまったことです。

この年代のドクターは30年くらい前、タイに先進医療が導入される前の医学教育しか
受けていないので先進医療は不得意なようです。少なくともこの二人のドクターは 
先進的な検査機器による診断をあまり生かしていないように見えました。

今回の眼科のドクターは、
2日間、大変なお金と時間をかけて
検査した写真の数々(MRIも全身と頭部もそれぞれ別にやり
造影剤入りとか造影剤なしとかで何回も検査をし
その他も眼底検査とか他にもいろいろな写真もあったのです)をちらっと一瞥しただけで
「おめでとう!あなたの目はどこも
悪いところはありません。」と言いました。
そして、サービスのつもりかドクターフィーのためかわかりませんが、
メガネの度数を計ってくれて「メガネが合っていないようだね。」といいました。
こちらは2回も目が見えなくなりぎらぎらしたものが目のまえにちらつき
視力が著しく落ちている状態なのでメガネが合っていないのはあたりまえだよーー
勘弁してくれーと思いました。
その眼科のドクターは人気が無く、暇のようで自分の診療以外は診療室から出て
ずうっと看護婦さん達に軽口をたたいていました。


病室で不安な気持ちで待っていると神経内科のドクターがきて、「あなたの
病気は偏頭痛ですので問題ありません。後遺症も残ることはありません。
今日退院できます。」と言いました。目の前がぎらつきまぶしいのでその事を告げると、
「サングラスを買いなさい。」と言いました。そして、グッドバイと言いながら
忙しそうに病室をでていきました。


バムルンラートを退院してオフィスに帰り、スタッフに簡単な指示をして
最小限の身の回り品等を持ち、1時間もたたないうちにタクシーで
バンコクホスピタルに向かいます。

診療を待っているあいだに3度目の発作が起こりました。

診察の結果、大変深刻な病気であることがわかりました。

そのようなわけで現在、バンコクホスピタルに入院しています。

片目でPCを打っているのでとても疲れやすく今後、
不定期に更新していきたいと思っています。

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バムルンラート2日目の夜。不安な気持ちでしたが、カバンの底に隠し持ってきた
ビールで一人で乾杯して少しリラックスできました。
この時点ではこの後本当の試練が来るとは予想していませんでした。
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by sheenatsilom | 2011-11-15 15:36 | informative

バムルンラート病院を退院しました。

目にまだ後遺症というか違和感が残っていますがいろいろな検査のあと
退院することができました。
短時間とはいえ完全に左目が光を失ったのでこんなに早く退院できるとは
夢のようです。

最初の検査のとき眼科のドクターに視神経が完全にだめになっている
といわれたときには本当にあせりました。

発作が出てから1時間以内に病院に着き、すぐに緊急治療室で分野が違う
3人のドクターが一堂に会して話し合いながら診療を進めてくれたので
短時間で的確な治療ができ、手遅れにならずに早い回復ができたのだと
思います。

それにしても恐ろしい経験をしました。
病院に向かう車のなかで目が完全に見えなくなった時のことを
思い出すといまでもぞっとします。
また、仕事のこと、将来のことを心配しながら過ごした夜の
長かったこと。。。。。

窓の外はいい天気。退院が決まってほっとしました。
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アメニティー。何も持たずに入院したので助かりました。
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お世話になりました。居心地がいい部屋でした。また来たいとは思わないけど。。。
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7階には長い庭園があります。
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天気が良くて気持ちがいい。。。
しばし庭園を散歩して開放感を味わいます。
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by sheenatsilom | 2011-11-04 16:38 | informative

バムルンラート病院の病室紹介

今、夜中の2時。バムルンラート病院にいます。
今日仕事をしていたら、急に左目の前がぎらぎら光り始めました。
5分も経たないうちにぎらつきが目いっぱいに広がって物が
見えない状態になりました。
あわてて力持ちのイアンさんに運転してもらってバムルンラート病院に向かいました。
朝から頭が痛かったこともあり、脳内出血が起こり視神経を圧迫しているのではないかと
思い、そうなるといずれ四肢に麻痺がくるので力持ちのイアンさんに連れて行って
もらったのです。
車の中で左目のぎらつきが無くなったと思ったら視力を失い、
目を開けても全くの闇となりました。
普通は目を閉じてもなにかしら光を感じますが全くの闇で初めての経験です。
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緊急治療室で神経内科、眼科、心臓血管系の3人のドクターがチームを組んで
検査してくれました。その結果、脳内出血は無いということがわかり一安心です。
第一関門突破です。
結局数々の検査の後、眼動脈に血栓が詰まったということがわかりました。
眼科のドクターがwe can fix it!と言ってくれたので少し安心しました。

そういうわけでいま血栓を防ぐ薬や血管を拡げる薬を点滴しています。
なんか寝ようと思っても寝付けないし、ジーと横になっていても気が滅入るので
気を紛らわせるため、ブログの写真を撮ろうと思い、
点滴の機械をコンセントからはずして部屋の中を動き回ります。
一人部屋なので持ってきたPCで音楽を一晩中流しています。
しょうもない患者です。

大きな液晶TV。PCも兼ねてます。
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部屋に備えつけのPC。起動させようと思ってもできない。
ドクターや看護婦さんが使うPCでした。壊れなくてよかったーーー。(-_-;)
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キッチンつき。食器等もそろっています。
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ソファーベッド。手前に引くとベッドになります。
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トイレ。
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シャワールーム。
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夕食。食べる気がしないのでほっぽらかし。。。
夕ご飯を持ってきてくれた女の人にワインを持ってきてと頼んだんですが
ありません、といわれてしまいました。
アメリカやフランスの病院ではワインを出すところもあるとなんかで読んだ事が
あるんですがやはりだめか。。。
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by sheenatsilom | 2011-11-02 21:36 | informative

バンコク大洪水 爪跡を探すも。。。

タイ政府の予報では昨日、高潮とチャオプラヤー川の増水が重なりバンコクで大規模な
洪水が起きるとのことでした。
タイ人の多くはバンコク全土が洪水で覆いつくされると
信じていたようです。

高潮が去り一夜明け、かなりの水害が予測されましたが、
幸いなことにオフィスとSHEENがあるシーロム通りの近辺は
洪水は起こらなかったようです。
そこで、洪水の爪あとを探しに浸水が報じられたチャロンクルン通りとラマ3通りを
会社の帰りにドライブしてみました。
この通りはチャオプラヤー川が大きくカーブしている所に沿って
走っている、交差している2本の通りです。

ラマ3通りはなにもありませんでした。道路の脇に小さな水溜りが
あったくらいです。

随分前から浸水が報道されていたチャロンクルン通りも何箇所か
局所的な洪水がみられただけです。
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いずれも20センチ以下の水深で車の通行には
支障が無いくらいのものでした。
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バイクもあめんぼうみたいにスイスイ走って行きます。
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チャロンクルンを走っている時に思い出しました。
初めてブログを書いた日にチャロンクルンのソイの中にあるイサーン料理の
屋台でテークアウトしたのでした。
愛想のいいおばさんは「また来てね。」と言ってくれましたが、そのあと
一度も行っていない。。。なにか懐かしくなり行ってみることにしました。
ソイの中に入って行くとありました。

このローカルな雰囲気が本当にいいです。この雰囲気が好きでタイに
住んでいるのかも知れません。
お客さんは仕事を終えた後、ビールを飲みながら楽しそうに食べています。
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イサーン料理の屋台のいいところは炭火のBBQ。外なので煙を気にせず
ガンガン焼きます。
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おばさんと働き者の娘さんが手際よく料理を作ってくれます。
笑顔がとてもかわいい娘さんもあと20年位したらお母さんみたいな
顔になるのでしょうか。
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ソムタム(パパイヤのサラダ)と牛肉の炭火焼き、センマイのハーブサラダ、
トムセープヌア(イサーン風牛肉のスープ)、
それに野菜ともち米をそえて。

食べたら辛いーーー!!!
しまった!辛くしないでというのを忘れた。。。
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by sheenatsilom | 2011-11-01 15:14 | informative